「ひきこもり当事者」という表記を「訳があって外に出れない人」に変更します

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お知らせ

7月より、Nienteは「ひきこもり当事者」という表現を控え、新たに「訳があって外に出れない人」という表現を使うことにしました。これは、「ひきこもり当事者」という表現が一部でネガティブな印象を持つ可能性があると認識しているからです。

もちろん、「ひきこもり」でも外に出られる人がいることを承知しています。この新たな表現の導入は、ひきこもりの人に対する偏見や差別を減らす活動の一歩です。

「当事者」という語は、辞書上では「直接ある事柄や事件に関係している者」と定義されており、これがひきこもりの現状を大袈裟に描き、社会との隔たりを生み出していると感じています。その結果、家族等が「当事者」という語を使われると、何か問題があると感じる可能性があるのです。

Nienteは「インフルエンザ当事者」や「休職当事者」などと呼ぶことはないのに、「ひきこもり当事者」のように呼ばれる現状に疑問を感じ、より柔らかな表現を模索しました。それが「訳があって外に出れない人」という言葉です。

それでも「ひきこもり」という表現の伝わりやすさは認識しており、場面や相手によって使い分ける形を取る予定です。どうぞご理解の程お願い申し上げます。

ひきこもりを明るく語る

私はひきこもりの経験がありますが、その体験を活かした活動の中で「明るく振る舞う」ことの大切さを学びました。ひきこもりの状況にあるからといって、社会に対して申し訳ないと感じる必要はないと考えています。

私は経験者として、ひきこもりの人々が前向きに活動し、生活していくことを切に願っています。確かに、我々は就労していないため、経済活動への参加や納税が難しい側面があります。また、ストレスを耐えて働く一般の方々の生活に対しては、自己の状況を反省することもあります。

しかし、その反省が過度な自己否定につながり、後ろ向きに生きることにつながるなら、それは推奨できるものではありません。何故なら、ひきこもりの人でも、前向きに生きていくことにより、社会に希望と勇気を示すことができるからです。そのため、私はこの価値観を大切にし、ひきこもりでも社会に対して自信を持ち、前向きに生きる姿を体現していきたいと思っています。

まとめ

「ひきこもり」の表現を変えるだけで社会的な問題が解決するわけではなく、偏見や差別が消えるとは考えていません。しかし、我々が新しい言葉を探求するのは、「ひきこもり」が新しい段階へと進むタイミングが来ていると感じているからです。

コロナ禍を経て、家での活動やオンラインでの手続きが一般的になり、この社会的な変化は、一面ではひきこもりにとっての生活環境を改善する可能性を秘めています。

過去には、認知症が「痴呆」と呼ばれ、偏見や差別の対象でしたが、今ではその理解は進み、多様な福祉サービスが生まれました。ひきこもりが抱える状況も、その変革の瀬戸際にあると感じています。言葉の力で、その一歩を踏み出す助けとなることを期待しています。